今日母といろいろ話した。

主に、9割、金の話だ。

母が何気なく言ったこの言葉にすごく

ひっかかったのを今も覚えている。

 

「何十万ってお金あげてきたけど、

当たり前だと思ってないよね?」

 

確認するような言い方だ。

重いと感じた。

恩着せがましいとも思った。

子供に学歴や得意分野、才能という付加価値がないと愛情を確認できない親は

親と言うべきかとも考えた。

親の役割、義務、相反する子供の役割と義務。

 

 

同時に不甲斐ないとも思った。

私は就職してなくて、コロナでバイトも無くなって、自分が生きていけるためのお金も稼ぐことができない。

 

食費も住居費もいま着てる服だって

何一つ自分の力ではない。

それは重々分かっていた。

自分の力でも自分のお金でもないことが

わかっていた。

 

裕福でないことも知っていたし、

将来働いて支えたいという思いもあった。

 

自分の人生だから。

失敗を他人のせいにするな。

 

そういうことを私は言いたいわけではない。

母のことは信用している。

だけど、私が本当に、心に限界が来た時だって

支えてくれたことは一度もなかった。

 

信頼はしていない。

 

たまに、自分にすごく価値がないように感じる。貶められて、何もできずに、生産性の微塵もないというように。

 

私には妹がいる。

妹が勉強を頑張る理由は

親に認めてほしいからだ。

 

私は勉強で親によく褒められてきた。

逆に勉強以外は何もできないと貶されてきた。

 

じゃあ

 

どこまで頑張ればいいんだろう。

どこまで完璧になれば

何も文句を言われずに済むんだろう。

 

私の、一体どこに内在的価値があるんだろう。

 

私の何という部分が私とたらしめるのだろう。

 

私が私でなくなったとき

母はどういう顔をするんだろうか。

 

何が迷惑なのだろうか。

私はもう何も考えたくなかった。

 

生きているだけで価値があると

思われたいことは

大層なわがままか。

 

私は自分勝手なのだろうか。

所詮自分のことしか考えていない屑なんだろうか。

どうしたらよいのだろうか。

正解は

 

何なんだろうか。