吸えない息を噛みしめた
母さんからの電話を無視した。
まぁ、今だけに始まったことじゃないけど、
ほんとに家族というのは息苦しいものです。
思えば母さん母さんと言うけど、
産めば誰でも母になれるのか?
そんなありきたりな言葉を並べるつもりではないけど、マジで産めば、単に
産んだ人
って言うだけで、産んだ子供との繋がりの中で
母になっていくもんだと思う。
普通、産まれた環境を子供は疑わない。
自分の置かれた環境が普通だと思って生きているから、親の言うことを疑わない。
母さんが好きだ。
母さんが私のためにいろいろしてくれている
なのにこの息苦しさは
なんだ?
中学生の時
パパが自殺した。
金がなくてばぁちゃんの家に居候した
家族は崩壊してた
母さんは仕事に行った
いきあたりの同窓会で男をつくった
家事をあまりしなくなった
私は
母とあまり喋らなくなった
私も彼氏ができた
わがままでプライドが高くて
私をあまり大事にしないやつだった
それでもセックスが気持ちよかったから
なかなか別れられなかった
そんなものが欲しいくらい
その時の私には本当に何もなかった
夜に1人で明石公園を散歩して
高台のベンチに座って泣いた
私には本当に何もなかった
家に帰ると不機嫌な母さん
ばあちゃん
じいちゃん
みんな喧嘩してた
気分が沈んで寝た
次の日学校に行くと
皆んなが幸せそうにみえた
他人に家庭の悩みを話す人なんていないし
高校生なんて大人だし
みんなもいろいろしんどいことがあるかも
しれない
と
自分の環境に甘えず
ちゃんと勉強して
すました顔をして日常生活を送るのが
普通だと思っていた
これがしんどいなんて思っていなかった
思うことすらなかった
大学受験に失敗した
母さんの顔を見た
投資に失敗したと言わんばかりの顔だった
そんな顔を見るのが嫌だった
昔から
出来の悪い子供を見る目が軽蔑に溢れていて
自分はそんな扱いをされたくなかったから
勉強した
勉強の理由はそれぞれだし
ポジティブな理由だけで勉強が続くとは
私は思わない
それぞれ好き勝手な理由でいい
そんな承認欲求のための勉強は21歳まで続いた
そして気づいた
私は疲れた
私は今年、22歳になる
28歳になると
パパと生きてきた年数よりも
歳を食うことになる
そろそろ終わりにしたかった
私の人生も
私は疲れた
そう思っていた
結局男か
と思うけど
もう少しだけ
生きてみようと思った
一緒にいると本当にしんどかった
私が無くしてきた大事なものを全て
持っているような気がした
大事に守られて育ってきた
そんな感じが伝わってきた。
私が死ぬ直前まで
いろいろ伝えたいと思った
私が
紙切れだけで
私の人生を
終わらせないために