煩いと患い 4
お葬式が終わった後に火葬場に行った。
火葬場で焼かれて出てきたお父さんはほとんどと言っていいほどあまり何も残ってなかった。
その中でお箸を使ってみんながお父さんの骨を骨壷に入れた。
私はその中でお父さんの歯をもらった。
キラキラしてた。虫歯を銀で被せていたから。
胸がスッと空いた気がした。
歯だけ渡された今、冷凍ハンバーグのように感じた感触の時よりも無機質な感じがして堪らなかった。
だけど涙が出なかった。
本当は泣きたかったのに。
あれから10年間続けていた新体操もやめた。
お父さんがいなくなって月謝や衣装代が払えなくなったからだ。
住んでいた家も売りに出して、母方の祖母の家に居候することになった。
2人で住んでいたところに私、母、妹が住むのだから家具の整理が大変だった。
かなり捨てた。
友達からの手紙。
集めた漫画。
新体操のレオタード。
手具。
写真。
妹はまだ8歳だった。母はかなり心の余裕を失っていて妹のぬいぐるみを全部捨てた。
1つ残らず。
小学校から帰ってきた妹は自分の部屋が空になっていたのにびっくりしたのと、大事なぬいぐるみが全部なくなってる光景を見て号泣した。
母に怒った。
母は逆ギレした。
自分のことで精一杯だったのだ。父が不動産をしていて、会社がもう潰れていたので書類の整理が追いついていなかった。かなり疲弊していたと思う。
妹は父が死んだことは認識していたが、自殺したことは知らなかった。
死んだということもあまりよく分かっていなかったと思う。
ぬいぐるみの中にプーさんやスティッチなどディズニーキャラクターのものがたくさんあった。
全部温泉に行った時にお父さんが妹のためにクレーンゲームでとったものだ。
普通に買えば500円くらいで買えるのに、そのクレーンゲームに1000円も2000円も入れて取ることがよくあった。
私はその時、途中でやめなよと言ったが、今思えばあの時間を買っていたんだなと感じた。
それが全部手元になくなった妹は泣くしか選択肢が無かったと思う。感情がストレートに出ていて羨ましいと思った。
私はその時大人になりすぎたと思った。
幼稚園の時に東京ディズニーランドでお父さんに買ってもらったミッキーのぬいぐるみを捨てた。
これからの生活のためにスペースの邪魔になると思ったからだ。
効率と心の豊かさは反比例する。
あの時、あの瞬間、私は確かに自分にとって大事なもの、自分が昔も今もこれからもずっと大切にしていきたい、自分にしか分からない価値観を含む物をかなり捨てた。
忘れたかったし、悲しくなりたくなかったし、鬱になりたくなかったし、そうやって強がっていることに気付かれたくもなかった。
そうやって生きてきた。
そして
私はこんな自分を不幸だとも思った。
私はこんなに不幸で不遇で、でもこんなに結果を残して頑張ってるから。
責めるなよ。可哀想だろ。
とも思った。
世間一般的に見れば、そういうのは「何もしてない」と言う。それに気づくのに6年もかかった。
煩いと患い 3
命日が2012年11/27だった。次の日にお通夜で
その次の日の11/29にお葬式だった。
私の誕生日だった。
お通夜の時に親戚がきて泣いてる人も沢山いたし、大人はいろいろ話し合ってた。
お通夜のことはあまり覚えていない。
ずっと部屋に篭ってた。
日本にいる韓国の親戚もきて、お母さんといろいろ話してた。お母さんは泣いていて、親戚はお母さんを責めてるようにみえた。
私は何もしなかった。できなかった。
起きた出来事に対して目まぐるしく動く大人に14歳の私は無力を痛感した。
お父さんが死んだ日の夜に、お父さんの夢を見た。
私は、私の部屋で寝ていて右手の窓の外にお父さんが立っていた。
びっくりして飛び起きた。すごくリアルだったから。
「お父さん!お父さん!!なんで!?なんで!!?」
「ごめんなぁ」
夢の中で、お父さんは謝った。
「俺、いま若い時のまんまやねん」
それだけ言って窓に背を向けて何処かに行った。私は引き止められなかった。
窓から手を伸ばして、手に触れた鉄格子がとても冷たく感じられた。
起きてお母さんとおばあちゃんの顔を見たとき
号泣した。
今まで考えてきてたこととか、心の中にしまっていたものとかがぐわぁ〜って溢れてきて止まらなかった。
私は一旦親戚の家に行って、その近くでお葬式が行われた。
お葬式の日に、私は泣かなかった。
本当は泣きたかった。
でも泣かなかった。
私の横で倒れるように、顔をぐちゃぐちゃにしてるお母さんを見て泣けなくなってしまった。
子供ながらに「しっかりしないと」と思った。
挨拶に来るお父さんの知り合いや親戚に1人1人私は頭を下げた。
私のお焼香の番になって、灰をつまんでパラパラと落とした。いろんなものが落ちていく気がした。
棺桶の中に入ったお父さんをまじまじと見た。
顔色が良くて寝てるみたいだった。
顔が出てたのでほんとの、ほんとの最期のお父さんを触った。
びっくりするくらい冷たかった。
冷凍庫の中に入ってる冷凍食品のハンバーグみたいに冷たかった。
死んだ。そのことを実感した。
そこから先のことはあんまり覚えていない。
煩いと患い 2
救急車の手配が済んで、その後に母方のおばあちゃんの方に電話をかけた。
「おばあちゃん、あの、、あのさぁ、、お父さんが、首、、首吊って死んだ、、。首吊って死んだよぉ、、、。」
ぽろぽろ涙が出た。悲しいとか寂しいとかそんなんじゃなくて多分動揺からくる涙だった。
5〜10分して救急隊員が5人くらい来て横に倒したお父さんの容態を診た。
救急隊員が来るまで、お母さんは心臓マッサージとかしてたけど、途中で辞めた。
人は、人が生き返るか生き返らないか、
なんとなくわかる。
その後にお母さんはお父さんと手を繋いだ。
「まだあったかい、、まだあったかいのに、、、」と繰り返した。
お父さんがネクタイで首を吊ってたのをハサミでちぎって、横に倒した後、布団の横に封筒があるのを開けた。
500万くらい入ってた。
お母さんは「こんなもので、、」
って言った。私は終始無言だった。何も言えなかった。でもずっとずっといろんなことを考えていた。
封筒の中には遺書とお金が入ってて、かなりの額だったのは間違いない。
お父さんの死体を見たとき、封筒の中身を見たとき。ショックを受けたのは間違いないが死んだことに対する悲しみや寂しさを感じたわけじゃない。
人が1人死んで、こんな紙切れになるなんて信じたくなかったし、私はこんな紙切れで終わりたくないと思った。
私が何かしたのか。なんでこんな想いをしないといけないのか。好きでこんなに頑張ってきたわけじゃない。
好きでしんどい思いを背負ってきたわけじゃない。なんでこんな仕打ちをうけるのか。
好きでこんな人生にしてきたわけじゃない。
なんでだ。どこで間違えた。どうしたら良かった。あのとき何を喋れば良かった?
ぐるぐるぐるぐる
いろんなことを考えた。
1番突出してきた思いは
「私はこんな風に終わりたくない」
だった。
人が死ぬ。ましてや自分のお父さんが死ぬ、死んだその瞬間までも私は私の気持ちしか考えられない。お父さんと最後に喋った言葉も思い出せない。
親不孝をしてきたわけじゃない。むしろ孝行してきた。成績と習い事。全部一生懸命頑張ってきた。
けど、何も分かってなかった。
お父さんの会社がすでに潰れていたこと。
誰もいない家で1人で見ていたテレビ。
夜中に書いた遺書。涙が落ちたところが滲んでた。全然喋ってなかった。何も知らなかった。何も知ろうとしなかった。
新体操が終わって、夜に来るお迎えがいつもより早くなってたこと。
全然。何も。
なんだか、失格だと思った。何に対してかは今も分からないけれど。
煩いと患い
結構良い家に生まれたと思う。
お父さんは不動産の社長やっててお母さんは専業主婦で私は習い事とかも結構してた。
塾とピアノと新体操。10年続いたのが新体操で、これで進学とかしようと思ってたレベルで頑張ってた。(当時全国30位とか)
勉強も学年だと1位とかまあまあとってて、時間無い割に隙間見つけては暗記物とか覚えてテストで良い点数とるのとかは得意だった。
そこで今、仕事とかしてて思うのは、当時なんであれだけ無賃で頑張れたのか。
人にもよると思いますが
私の場合は承認欲求がばちばちに強かった。
うちはお母さんがしつこいタイプの人間で
「なんでこんなことも分からないの」「なんでこんなことをしたの」「お前はそういうこと絶対やると思った」
という典型的な、子供の自尊心破壊系的屑母親でした(ひ、ひどい、、、)
絶対怒られたくない。絶対何も文句を言われたくない。
精神衛生上悪いから。ダメージ受けたくないから。私のマインドは私が守りたい。っていう感じで強迫観念を18年間くらい受け続けた生活を送ってた。
それで打たれ強くなったのならいいじゃないか。
という無責任な発言は受け付けない。
誰しも、自分の家庭が普通だと思う。だってそこしか場所を知らない。
他の家庭見て思ったのは、うちはかなりイレギュラー。
私が勉強や習い事を頑張れば頑張るほど、家族間のコミュニケーションは少なくなった。学校に行って、習い事に行って、家に帰ると晩御飯と風呂とその後は勉強。
家にいるのは8、9時間くらい。なのでほぼ寝るだけ。
みたいな生活を14歳まで送ってた。
14歳になる誕生日の2日前に父親が自室で死んだ。自殺だった。
首をネクタイでつっていて、その日は学校のテストの日でたまたま朝早く起きて、父親の部屋にある物干し竿から制服のブラウスを取ろうとドアを開けたときに見た。
私が最初に見つけた。
始めは目の前の景色が、現実感が無さ過ぎて「まだ起きれてないんかな、夢みてるんかな」と思った。脳みそまで情報が確実に届くのに結構時間かかった。
母親が来て、父の首吊り姿を見ると、今まで聞いたこともないような金切り声を挙げて、一気に現実味を帯びた。
「救急車呼んで!電話使って!!」
ていわれて家の固定電話に走ったんだけど、人間びっくりするとありえないくらい情報量がでてこないもんで
「あれ、、、、救急車の番号ってなんだっけ、、、」
って情けない声がでた。